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「人が浮いてきました」と、誰も自分からは言ってこない。
AIで業務効率化が進めば進むほど、その逆説的な現象に管理職が直面しています。DeNA会長の南場智子氏が今年3月の「AI Day 2026」で打ち明けたこの言葉は、AI導入企業のほぼ全てが、これから3年以内に出会う組織の壁を端的に表しています。
2026年6月27日、その南場氏自身が15年ぶりに社長兼CEOに復帰しました。理由は業績ではありません。AIオールイン宣言から1年、個人の生産性は飛躍的に上がったのに、会社の成長には直結していない。
この矛盾を自ら解くために、創業者が再び陣頭に立ちました。これはDeNA一社の話ではありません。AIで余った人材が新しい価値を生むまでの距離を、どう詰めるか——日本企業全体がこれから問われ続けるテーマです。
DeNAは2025年2月、全社員にAIの徹底活用を促す「AIオールイン」を打ち出しました。野心的な計画です。現状の半分の人員で既存事業を維持・成長させ、残り半分を新規事業に振り向ける——そんな宣言でした。
1年が経って、出てきた数字は驚くべきものでした。
一部のエンジニアプロジェクトでは、作業の95%をAIが担い、生産性が20倍に跳ね上がる事例まで出てきています。
ある社員は、企画とリサーチに加えて、AI活用でコーディングまでこなすマルチタスク化を実現しました。数字だけ見れば、大成功です。
だが南場氏は同じ場でこうも語っています。「新規事業への人材シフトが、思ったほどできていない」。
個人の飛躍的な成長は、必ずしも業容の拡大に結びつかなかった。AI代替が進んだ部署から成長部門へ社員が移ることが全体最適につながるはずなのに、その移動がほとんど起きない。
個人は速く強くなった。それなのに、組織は動かなかった。これがDeNAが現在進行形で直面している壁です。
管理職の囲い込み行動は、意識が低いからでも、意地悪だからでもありません。むしろ誠実に仕事に向き合ってきた管理職ほど、強く感じる本物の痛みが3つあります。
一つ目は、心理学で「心理的所有感(Psychological Ownership)」と呼ばれる感覚です。
法的な所有権がなくても「これは自分のものだ」と感じる本能で、長く一緒に仕事をした部下や自分が育てたメンバーは、管理職にとって純粋な人間であると同時に「自分の仕事の延長」として心理的に所有されています。だから他部署に送り出すことは、単なる「別れ」ではなく、「自分の一部を奪われる体験」になる。
二つ目は、もっと実利的な業務負担の問題です。
優秀な部下を送り出せば、その人に振っていた業務が自分に戻ってきます。代わりの人材が来るかどうかも分かりません。来たとしても、戦力化するのに数カ月はかかる。
「人を出せ」と言われて素直に出した管理職が、結果として一人だけ業務量が増えて疲弊する——この構造を変えない限り、誰も先に動きません。
三つ目は、人間関係という感情の問題です。
長年一緒にやってきた人が去るのは、純粋に寂しい。職場の楽しさも下がる。「チームをいい状態に保つ」ことに誇りを持ってきた管理職ほど、人間関係の解体は手痛い損失になります。
3つとも、本物の痛みです。
ここを直視せずに「時代が変わったんだから動け」と精神論で押し込んでも、人は動きません。意識改革研修を100回繰り返しても、行動は変わらない。問題は意識ではなく、構造にあります。
南場氏がたどり着いた答えは、シンプルでありながら、どこか逆説的です。
「先に人を動かす」——AIで余裕ができてから動くのではなく、強制的に人員を先に移動させることで、現場が否応なく新しい仕事に向き合う環境を作る。
具体的には、管理職に対して部下の異動を後押しするよう求める方針を打ち出しています。日経新聞の報道によると、管理職に求める要件のひとつに「人材の輩出」を位置づけ、部下を囲い込まず、新事業や独立起業への挑戦者を増やすことを管理職の評価に組み込む方針です。
そして自身の社長復帰です。トップダウンで人材移動を断行するには、それを決裁できる権限の座が必要だった。南場氏自身、「乱暴なリーダーシップは一定必要だと思う」と語っています。
この発言の重みはどこにあるか。
南場氏のスタイルは元来「人が組織を使う」遠心力経営であり、自発性と起業家精神を重んじる文化です。その南場氏が「乱暴さ」を肯定したということは、AIが生み出す変化のスピードが、従来の組織の自律性を超えていることを認めたことに等しい。
ただし、「乱暴さ」だけでは文化にはなりません。
強制的な異動は短期的に機能しますが、心理的安全性を損ない、その後の自律的な流動性をかえって阻害するリスクがあります。バックオフィスから営業部門に配置転換した企業で、異動先の社員のパフォーマンスが上がらなかった事例も既に報告されています。
スキルの問題ではありません。モチベーションと、自分の仕事への意味づけの問題です。
「乱暴さ」は最後の手段としては有効でも、最初の手段として連発すれば現場が枯れる。本筋は、管理職が「手放すこと」を合理的だと体感できる構造を、組織全体で作り直すことにあります。
世界には、この問題を先に解いた組織が既に存在します。彼らに共通しているのは「手放すことが管理職にとって合理的になる構造」の発明です。代表的な2つを見ていきたい。
1つ目は、ユニリーバの「Flex Experiences」と呼ばれる社内タレントマーケットプレイスです。
仕組みはシンプルで、プロジェクトを必要とするマネージャーが「こういうスキルを持つ人材を3カ月欲しい」とプラットフォームに掲示する。社員は自分の興味とスキルで自由に応募できる。AIがスキルとプロジェクトをマッチングし、リクルーターを介さずに動ける設計です。
設計の妙は、ここに「部下を送り出す」という概念がそもそも存在しないことです。管理職は部下を失うのではなく、自分のプロジェクトに人材を呼び込む側にもなれる。流動性が「損失」ではなく「お互い様のエコシステム」として機能します。
人を動かすのではなく、スキルが必要な場所に流れていく——いわゆる「スキルベース組織」と呼ばれる、ジョブ型の発想を補完・更新する流れです。
2つ目は、Netflixが原則として掲げる「Context, not Control(コントロールではなく文脈で動かす)」です。
会社がどこへ向かうかを全員が腹に落ちるまで共有すれば、個々の判断は現場に委ねられる。管理職が部下をコントロールすることで価値を出す——という動機そのものを、制度設計で薄めています。
どれも管理職に「囲い込むな」と説教していません。代わりに、囲い込むことが合理的でなくなる構造を組み立てている。意識ではなく、構造から先に変えているのです。
実際に組織を変えるとなれば、各社の文脈・規模・既存制度との接続次第で打ち手は大きく変わります。
おおむね3つのフェーズで進める姿が見えてきます。
フェーズ1は「可視化」です。
何かを変えるよりも、現状を正確に把握することと、未来像を全社で共有することに使う。「3年後にはこうなる」という風景を、経営者が経営会議や全社会議で繰り返し語る。「移動は例外」から「移動は前提」への意識転換を、まず言葉で始めます。
並行して、各部署で「どの業務がAIに代替されつつあるか」をマッピングする。これは削減のためではなく、「何が人間の仕事として残るか」を共通言語にするためです。管理職と部下の1on1にも、月1回でいいから「キャリア志向」を本気で話す時間を入れる。評価とは切り離した形で。
フェーズ2は「事例化」。
試験導入と、成功事例の物語化に集中します。たとえばパイロット部署で人材輩出評価制度を回してみる。社内副業やプロジェクト型アサインの仕組みを、業務時間の10〜20%という小さな枠で試してみる。送り出した管理職と、新しい場所で活躍した人材の双方を、社内報や全社会議で可視化していきます。
「動いてよかった」という体験談が、次の人を動かす燃料になる。物語が10件溜まれば、それが文化の核になります。
そしてフェーズ3は「文化化」。
蓄積された事例と制度の実績を土台に、仕組みを全社展開します。ここで重要になるのが、管理職の役割そのものの再定義です。「業務を割り振る人」から「人材を育てて最適な場所に送り出す人」へ。
チームの人数を維持することよりも、自分が関わった人材が組織全体でどれだけ活躍しているかで評価される人。AIが定型業務を担う時代に、本来のマネジメントが何だったかが問い直されます。
ただし、ここまで来ても「制度は整ったが文化は旧態依然」という状態は普通に起きます。残された壁は、強制よりも対話の方が機能します。
完璧な設計を一発で出すよりも、不完全でも今すぐ小さな実験を始めることのほうが現実的です。
ここからは少し違う角度の提案を一つ置いておきたい。
実は、管理職の抵抗感とは別に、もう一つ静かに進んでいる課題があります。「AIをもっと使いたいが、トークンや利用料の予算が足りない」という問題です。
エージェントを本気で回し始めると、月の利用料はあっという間に積み上がります。経理が悲鳴を上げて、予算上限が引かれ、結果として「使いたい時に使えない」状態が現場で発生し始めている。
ここに気づいた瞬間、面白い構造が見えてきます。
管理職が部下を手放せない問題と、AI予算が足りない問題は、実は同じコインの裏表になり得るのです。たとえばこんな仮説はどうでしょうか。
すると、何が起きるか。
管理職の体験が変わります。これまでは「優秀な部下を1人失った損失」だったものが、「AI戦力を100万円分追加で獲得した勝利」として記録される。残されたチームメンバーも、AI予算が増えることで、これまで諦めていた挑戦に手が届くようになります。
人を1人手放すことが、AIを1人分(場合によってはそれ以上)取り込むことと同義になる。
もちろん、前提として「もっとAIを使いたい」「使えれば仕事が楽しくなる」という機運が現場に育っていることが必要です。AIへの抵抗感が強い組織でいきなりこの設計を入れても、「人を奪われた上に、よく分からないAIを押し付けられた」と感じられてしまいます。
だから順序があります。
まずAI活用の小さな成功体験を積み、「AIをもっと使えるようになりたい」という前向きな声が現場から出てくる状態を作る。そのうえで「人を送り出すとAI予算が増える」インセンティブを設計する。
これも「これが正解」と言える話ではありません。ただ、管理職の損失感を打ち消す装置として、AI予算という新しい通貨を組織の中に流通させる発想は、検討する価値があるのではないかと思っています。
人を出した者が損をする構造を、人を出した者が報われる構造に組み替える。そこに「AI戦力の獲得」という具体的な勝利体験を結びつけられれば、心理的所有感と業務負担増という2つの痛みに、同時に手当てできる可能性があります。
南場智子氏の挑戦は、AIで個人を強くするという第一幕を終え、強くなった個人を組織の成長に転換するという第二幕に入りました。
これは技術の問題ではありません。人間の習性、組織の惰性、そして変わることへの恐れという、もっとも古典的な経営課題です。
AIが産業構造を書き換えるスピードと、人間が組織を変えるスピード——この二つのギャップを埋められた企業が、次の10年を制します。
その第一歩は、「人を手放すこと」と「AIを使い倒すこと」が、同じ意味になる設計を作ることなのかもしれません。
南場氏の3年が、その答えを問う実験場になります。
「AIオールイン」宣言から1年、個人の生産性は飛躍的に上がったのに、新規事業への人材シフトが進まないというジレンマをトップダウンで自ら解くためです。管理職の評価軸に「人材の輩出」を組み込み、部下を囲い込まず新事業や別部署への異動を後押しする「先に人を動かす」体制を作りにいく判断です。単純な業績回復ではなく、AI時代の組織を再設計するための復帰と位置づけられます。
「心理的所有感(自分が育てた部下を手放す痛み)」「業務負担の増加(残った仕事が自分に返ってくる)」「人間関係の損失(長年の関係の解体)」という3つの本物の痛みがあるからです。研修などの意識改革では動きません。送り出すことが管理職にとって合理的になる構造の作り直しが必要で、たとえば「送り出したら補充が来る」「送り出した人材の活躍が自分の育成成果として評価される」といった制度設計とセットにしないと機能しません。
ユニリーバは「Flex Experiences」という社内タレントマーケットプレイスで、マネージャーが必要なスキルを掲示し社員が自由に応募する仕組みを作り、「送り出す」という概念そのものをなくしました。Netflixは「Context, not Control(コントロールではなく文脈で動かす)」の原則で、会社の方向性を全員で共有し個々の判断を現場に委ねる文化を制度化しています。共通点は、管理職に「囲い込むな」と説教するのではなく、囲い込むことが合理的でなくなる構造を先に作っていることです。