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あなたの会社のTeamsには、何万件のやりとりが溜まっているでしょうか。そのほとんどは、誰も読み返さないまま消えていく記録です。ところがいま、その記録に値札が付き始めました。
池田朋弘(いけとも)と尾原和啓が、Googleが破綻した航空会社のデータを競り落とした一件を入り口に、AI時代の「データは誰のものか」を語り合います。
ポッドキャストできく:https://gai.workstyle-evolution.co.jp/wp-content/uploads/2026/08/google-spirit-airlines-data-01.jpg)
いけとも:今日は「Googleはなぜ破綻した航空会社のデータを15億円で買ったのか」というテーマです。
2週間ほど前、Googleがアメリカの格安航空会社スピリット航空(Spirit Airlines)のデータを買いました。買ったのは会社そのものではありません。破産手続きの資産オークションで、社内に残っていた業務データだけを競り落としています。
金額は1,000万ドル。日本円で15億円ほどです。
裁判所に出された資料で中身が公開されていて、そこに理由が書いてありました。AIの学習に使うためです。この辺りを深掘りすると、いまのデータの価値と、これから起こる動きが見えてくるなと思っています。
尾原:いや、来ましたね。これは多分、ディープなAIニュースじゃないと深掘らないテーマだと思うので。さすが、好みのところを持ってきますね。
いけとも:メッセンジャーで「どれにしますかね」と送ったら、テンションが上がってましたよね。
尾原:めちゃめちゃ上がりです。ずっと裏でウォッチしていたテーマなので。

いけとも:買った中身が具体的で面白いんです。
メールが約1億件。Teamsのやりとりが約5億件。ITサポートの問い合わせチケットが約60万件。SharePointに溜まっていた項目が約2,050万件。そして自社で書いたソフトウェアのコードが約3,000万行分あります。
もちろん個人情報や機密情報は使えない規定があります。航空会社ですから、誰がどこに乗ったという情報は山ほどあるわけですけど、そこは使いません。乗客のプロフィール9,750万件やマイレージ会員のデータは、そもそも取得の対象から外れました。
尾原:完全にアノニマイズすると。
いけとも:はい。裁判所が任命した第三者の監督下で匿名化する条件が付いています。
ただ、そのデータがあることで、一つの企業がどうやってオペレーションを回していたのかが全部分かるんですよね。
お客様から問い合わせが来る。社内のチームに相談する。その結果をチケットに登録して、実際に対応する。この一連の行動パターンが、正解データとして大量に残っている。
しかもこれ、外には全く出てこないデータなんです。時系列を伴うオペレーションの記録ですから、これでAIを学習させれば、精度の高いエージェントの動きが作れるんじゃないか。そう考えたんだと思います。

いけとも:ここまでガッツリ買ったのは、事例として初めてですかね。
尾原:いや、実はアメリカではポツポツあるんですよ。細かいのが。
Googleみたいなプレイヤーが入札するのは非常に珍しいんですけれども、たたんだ企業からデータを安く買い取って、きれいに整えて売り直すという商売がある。大量に廃棄されたスマートフォンを買ってきて、中の金だけ取り出して売ります、みたいなことのAI学習データ版ですね。
これがアメリカですごく増えていますし、日本でも動き始めていると聞きます。
いけとも:日本でもあるんですね。
尾原:ただ、今回のスピリットが大きいのは、航空会社そのものだからです。
もの凄いタイムマネジメントが要る飛行機という保守運用サービスであり、移動というミッションクリティカルな事業だから、お客様のクレームも大変です。ダブルブッキングの時にどう処理したんだっけ、という業務オペレーションが山ほど詰まっている。
機体の補修運用と、カスタマー対応。この2つが丸ごと手に入るんですよ。
しかも大事なのは、スピリットは失敗しているということです。成功事例って、決まったパターンの中の最適化の繰り返しだから、そんなに学べない。失敗したケースの中の方が、むしろ学べるんですよね。
いけとも:なるほど。
尾原:自動運転でデジタルツインが大事なのはなぜかというと、視界が最悪の雨の中で人が飛び出してきた時でも大丈夫か、を試せるからです。例外パターンをむちゃくちゃ作って、その中でもAIが大丈夫だよねと確認できる。
倒産企業は、ビジネスの例外パターンの塊なわけですよ。
これを15億円で手に入れるとGoogleがついに言ったんだ、というのは、業界的にはかなりの転換点なんですよね。

尾原:このポッドキャストでずっと話してきたことですけど、AIエージェントが自律的に動くためには、デシジョントレースが要るんです。
条件が決まっていて答えが一つに定まる場面じゃなくて、判断に悩む領域で、どっちを選んだのか。この決断の履歴そのものが宝になる。
あとはワールドモデルの話ですね。自動運転をやる時には、車が走っていて、後ろから車が割り込んでくるかもしれないし、人が飛び出してくるかもしれない。予測もできない空間の中で、行動を伴ってゴールまで安全に行けるか。それをシミュレーションできるデジタルツインが作れるか、という話です。
最近だと、いけともさんが拾っていたKimi K3の話がまさにそうでした。
いけとも:技術レポートが出ていましたね。Gmailに加えてNotionやSlackを模した仮想環境を作って、メールが来て返すようなシナリオを何日もまたいで回せる場を構築していました。
規模がすごくて、学習用のサンドボックスを5,120万個も立ち上げています。しかもAIには正解の手本を与えません。自分で振る舞わせて、最後の状態が正しいかどうかだけを判定して学習させる。まさに今回と同じ発想です。

いけとも:今回Googleがついに動いたわけですけど、こういうデータって、モデルを作っている会社こそ欲しいはずですよね。今までは行かなかったという見方なんですか。
尾原:それが面白くて。今回の入札、Googleの1,000万ドルに対して、Mercorという会社が750万ドルで競っていたんです。
しかもこれ、いけともさんが取り上げた後に続報がありまして。従業員側から「俺たちの業務メールをそのまま売るって、俺たちのプライバシーもあるんじゃないの」と異議が出た。裁判所の承認審理が9月9日まで延長されたんです。
そうしたら、もう一つの独立プレイヤーであるMicro1が、Googleを上回る額を出してきた。1,250万ドル、ちょうどGoogleの25%増しです。
いけとも:めちゃくちゃ熱いところに来ましたね。

いけとも:異議を出したのは、どういう人たちなんですか。
尾原:客室乗務員の組合です。給与の履歴や懲戒の記録、社内のやりとりが、消費者向けのプライバシー保護のルールではカバーされていないと。だから客室乗務員に関するデータは全部除外してくれ、と要求しています。
いけとも:確かに、乗客のデータは除外すると言っていても、働いていた人のデータは残るんですよね。
会社のメールは会社の資産だ、という整理で今まで来ています。
でも、そこに書かれているのは働いていた人の判断そのものです。書いた本人には一円も入りません。

いけとも:さっきの質問に戻るんですけど、OpenAIやAnthropicこそ、こういうデータが欲しいんじゃないですか。
尾原:あくまで推察ですが、答えはシンプルで。もともとMercorのような会社が、OpenAIやAnthropicにデータを売る側だったからです。
専門家がどういうジャッジをするのかというデータを販売するだけじゃない。直近では、そのAIをどう鍛えるのかという強化学習の環境づくりや、評価基準を作るところまで入っていきましょう、ということをやっている。
だからOpenAIやAnthropicは、直接そこに参入する必要がなかった。トカゲの尻尾、という言い方かもしれませんね。
いけとも:持ち合う関係なんですね。外に出しておいて、必要なものだけ受け取る。
尾原:ただ、そのプレイヤーが揺れています。Forbesが8月5日に、シリコンバレーのデータ企業が中国のAIを賢くしていると報じました。Mercorは四半期売上の約2%が中国のAI研究所向けで、中国担当の営業まで置いていた。Mercorはコメントを拒否しています。
記事によれば、中国の主要なAI研究所6社が、アメリカのデータ企業に年間およそ5億ドルを払っている。
いけとも:チップは輸出規制しているのに、栄養素にあたるデータは流れている、という構図ですね。
ちなみにMercorは、AI企業向けに学習データを作り、そのための専門家を派遣する会社です。医師や弁護士、元投資銀行員まで30万人以上を抱えていて、年換算の売上は20億ドル規模。NVIDIAが参加を検討する形で、200億ドルの評価額での調達を交渉中と報じられています。

尾原:この流れは、AI競争の主戦場が変わったことと直結しています。
もともとはスケーリング則でした。とにかく巨大な事前学習をやって、次を予測するエンジンを作ればいいじゃん、という競争です。それが2024年の後半あたりからポストトレーニングに移った。知識を大量に集めて予測するのではなく、推論、つまり論理分析の仕方そのものを鍛える方が大事だよね、と。
そうすると次の問題が出てきます。プログラミングの論理推論と、弁護士の論理推論と、経理の論理推論と、経営企画の論理推論は、それぞれ違うんですよ。
だからOpenAIは去年の9月に、GDPへのインパクトが大きい9業種44職種について、何をもって品質が高いとするのかという評価の物差しを作った。長時間の思考をさせて、その職種の専門家が見ても質が高いと言える答えが出せるか。そこに競争の原理が移ったんです。
いけとも:はい。
尾原:それで、専門家の判断材料そのものを集めなきゃいけない、となった。だからアメリカでは、もともと人材会社だったところが、自前の専門家ネットワークを使ってトレーニングデータをAI企業に供給します、という形に変容していった。これがこの半年の流れなんですよね。

尾原:今回のスピリットが恐ろしいのは、ジャッジしたログだけじゃないことです。
ある便が機材トラブルで遅れました。お客様に共感を示して、代替便をどうするのか、返金をどうするのか。その時にお客様は、カウンターで言うのか、メールなのか、電話なのか。
そして結果として代替便をどう作ったのか。さらにその後、クレームを挙げたお客様はリピートしたのか、しなかったのか。
判断のログだけでなく、その後にどういう代替案を出したのかという打ち手と、それが経営としてのリピート率や収益率にどれだけ響いたのかというアウトカム。ここまで全部データがあるわけです。
いけとも:判断と、打ち手と、結果が、時系列で揃っているわけですね。
尾原:だから、ログデータを買っているのではなく、シミュレーション空間を作るための元データを買っている、と思った方がいい。
実際Mercorは今年7月9日に、Deeptuneという会社を買収しています。ここはSalesforceや表計算ソフトを疑似的に再現して、AIエージェントに業務を練習させる強化学習環境を作る会社なんですよ。CEOはそれを「トレーニングジム」と呼んでいます。
Googleもデジタルツインやデシジョントレースという言い方をしているので、いよいよ「会社」という規模でAIが最適化をする段階に来ている。
いけとも:めちゃくちゃ面白い。しかも一つの会社でも、かなり切り出せますよね。
バックオフィスの経理だけでも作れるし、お客さん対応もできるし、航空会社特有の業務もできる。実データがあれば、あとはデジタルツインで少し違うケースを与えて、違う例外パターンをいくらでも作れます。
そこにAIを放り込んだらどう振る舞うかを大量にシミュレートして、実務で使えるレベルのものを育てていく。その環境ごと買っているということですよね。

尾原:失敗案件こそがラーニングの溜まり場なので、たたんだ会社のデータを買ってきて整えたり、ワークフローからシミュレーション空間を作ったりして、大手AIに提供する流れがあります。
そしておそらくこれは、フィジカルAIにもつながっていく話です。
テスラの自動運転がまさにそうでした。デジタルツイン上で実験を繰り返すだけでなく、リアルで車が走り出したことで、シミュレーションとはズレる例外処理が見つかる。それをまたデジタルツインに反映していく。だから自動運転が圧倒的に速く良くなったし、いよいよ無人の専用車をタクシーとして走らせる段階まで来ています。
いま中国はロボットの展示会をやっていますけど、産業用ロボットは新規導入台数の54%が中国です。リアルの現場は中国が持っているんですよね。だから物理AIでも同じことが起き始めます。
昔はラベリングと言っていたものが、いかにデシジョントレースを握るかの戦いになり、さらに業務や企業のデジタルツインを握る戦いにフィールドが移ってきている。
そういう意味で、Metaが去年の6月にScale AIへ143億ドルを出資して、議決権のない株式の49%を持ちましたよね。あの時はラベルで良かったんですよ。それがエージェント時代になると、ワークフローとデシジョントレースが重要になってきた。
さらに言えば、それをシミュレーションできる企業デジタルツイン空間そのものを作るところに戦線が移ってきていて、これが物理AIに行く。

尾原:そう考えると、実は日本って、あの会社とあの会社とあの会社がめっちゃ高額でアメリカに買われるんじゃないの、ということが容易に想像できるわけですね。
日本はこういう暗黙知、精密なオペレーションをめちゃめちゃ繰り返しながら失敗ケースで叩き上げられている、業務デジタルツインを作るための模範データの塊の国なので。
いけとも:お金をかけて買われたデータを、どこでも使われたら困りますよね。当然ながら。
そのデータって誰のものなのか。今は決まりがないので、資本の論理で、買った会社が機密情報や個人情報はさておき、それ以外は自由に使って売り先も選んでいい、となっている。
でも多分そうはならなくなりますよね。
尾原:おそらく、世界で一番わがままな大統領様がこれを許すわけがないと思います。
日本企業が狙われ始めた時に、日本の政府はそれを守ろうとするのか。いつものパターンで大事なものを抜かれていくのか。ここがこれから大事じゃないですかね。今のところ、この議論を聞いたことがないですね。
いけとも:めっちゃ面白いですね。業種別、業務別に集めたくなるはずなので、そこを狙っていくわけですよね。
尾原:ワークフローが固有で、その例外ケースの処理がもの凄い付加価値を生む。そういう産業が、非常にレバーが効きやすいんです。
いけとも:Mercorから見ると、OpenAIのような売り先が自分でシミュレーション環境を作ってしまったら、自分たちのデータが要らなくなる。だからDeeptuneを買って、時間を買ったという感じですかね。
尾原:そうです。前はトレーニング元の人材データを集めていました。そこから会社ごと業務フローとアウトカムも入手し、それをシミュレーションし続けるデジタルツイン環境まで、フルパッケージで持っていますと言えないと、下流から「あなたたちはもう要らない」と言われかねない。
言い方は良くないですけど、これは要は武器商人と同じ構図になってしまうんですよね。多国籍に提供するので、ここは本当に国のレベルで見ていかなきゃいけない話なのかなと。
いけとも:めちゃくちゃ面白かったです。これに注目しておいてよかった。本日もありがとうございました。
尾原:ありがとうございます。
会社ではなく、社内に残っていた業務データだけです。メール約1億件、Teamsのやりとり約5億件、ITサポートのチケット約60万件、SharePointの項目約2,050万件、自社開発のコード約3,000万行が対象でした。乗客のプロフィール約9,750万件やマイレージ会員のデータは、取得の対象から除外されています。
失敗には例外パターンが詰まっているからです。うまくいっている会社の記録は、決まった手順の繰り返しになりがちです。一方で経営が傾いた航空会社には、遅延やクレーム、代替便の手配といった想定外の対応と、その結果までが時系列で残っています。AIエージェントに判断を学ばせるには、この「迷った末に何を選び、どうなったか」の記録が要ります。
その可能性は語られています。日本は精密なオペレーションを現場で磨いてきた国なので、業務のシミュレーション環境を作る材料としては魅力的です。ただし業務データの利用権をどう扱うかは、日本でも米国でも法制度が固まりきっていません。米国では過去にRadioShackの顧客記録売却にFTCが介入した例があり、今回も労働組合が異議を申し立てています。
ポッドキャストできく:https://open.spotify.com/episode/2oKxLFcqcwNJmQv7uQcReb
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